PORSCHE|ポルシェ
対談 ポルシェジャパン代表取締役社長 フィリップ・フォン・ヴィッツェンドルフ × 通訳者 橋本美穂
ポルシェジャパンのフィリップ・フォン・ヴィッツェンドルフ社長がいま、何を見て何を思考しているかを解き明かすクロスインタビュー。今回のゲストはフィリップ社長が絶大な信頼を寄せる通訳者の橋本美穂さん。自らの言葉を委ねられると判断した理由、そして言葉を発する側と託される側、双方が考えるコミュニケーションの本質とは。
Text by AOYAMA Tsuzumi, Photographs by FUJII Yui Edit by MAEDA Yoichiro
第一印象は日本人っぽくない日本人
「日本人っぽくない日本人だな、と感じました」
フィリップ社長は通訳者の橋本美穂さんの第一印象をそう振り返る。2022年10月1日の、ポルシェ・エクスペリエンスセンター東京の1周年記念イベントのときだった。
ポルシェ・エクスペリエンスセンター東京はポルシェジャパンが運営するブランド体験施設だ。場所は千葉県の木更津市。ポルシェのスポーツカー走行を体験でき、かつ企業や団体によるイベントやカンファレンスが開催できる会議室を備える。
この日行われた式典で通訳を担当した橋本さんは、施設本館の1階でフィリップ社長を出迎える。そして2階の控室に移動するころにはもうすっかり打ち解けていたという。
<フィリップ社長>
「彼女は典型的な日本人に比べて開放的な雰囲気を持ち、そしてリラックスしていて柔らかい。そのフィーリングは、どこか海外の人のようです。日本人っぽくない日本人、と言ったのはそういう意味です。アメリカで育ったとあとで聞き、納得しました」
かたや、橋本さんもフィリップ社長に対して、初対面のときから良い印象を持っていたと話す。
<橋本さん>
「器が大きくて話しやすい。私は仕事柄いろいろな人とお会いしますので、少しお話ししただけでその方の特徴を掴むことができるのですが、フィリップ社長とはしっかりタッグを組んでやっていけそうだなという印象を持ちました。
通訳という仕事はその人の言葉を預かって代弁します。ですから、私よりも地位が遥かに高い人だったとしても、私はその人にならないといけない。そのためには生意気なようですが対等な関係を築く必要があります。人を寄せ付けない方だったり、疑問を口にしにくい関係では仕事に影響がでてしまうんです」
ただ言葉を訳せばいいというだけではない
通訳者の現場は瞬間勝負。通訳を介した会話がスムーズに進むためには、発言のニュアンスや意図を測り、ときにはためらわずに確認する必要がある。言い方に気を回している余裕がないことも多い。「大事なことからズバっと言っても大丈夫そう」、そんな懐の深さを橋本さんはフィリップ社長に感じたという。
ポルシェというブランドを日本において預かるフィリップ社長。ブランドの価値を守り、プロモーションしていく重責を果たすうえで、対外的な場面で自らの言葉を預ける通訳者には高いレベルを求めるのは当然のことだ。
<フィリップ社長>
「あるとき彼女は私に“責任を持ってフィリップが意図している通り伝えたいから教えて”と言ってきたことがありました。その、ただ言葉だけを訳せばいいという姿勢ではないところに、信頼をおけると感じました。他の通訳者と仕事をしたこともあります。みなさん、私が言ったことを訳すという点では上手でした。彼女は違いました」
例えばフィリップ社長がジョークを話したとき、その意図は聴衆を笑わせることにある。つまり結果として求められるのは、聴衆を和ませること。言葉で人を笑わせることは母国語であってもテクニックを要することだが、橋本さんはそれを見事にやってのける。
言葉はアクションのトリガーである
<フィリップ社長>
「彼女は私の言葉を正確に訳すだけではなく、私の意図をちゃんと理解して“伝えて”くれている。それは自分の狙ったとおりに聴衆が反応することからわかる。メッセージをオーディエンスに伝える時には、厳しい話や面白い話、感情を揺さぶる話、いろいろな内容がありますが、その時に重要なのはメッセージの本質が正しく伝わるということです。彼女がそれをしてくれていると実感するたびに、信頼が深まりました」
フィリップ社長は「相手に対して言葉を発したら、その結果も見届ける必要があります」という。言葉に込められた意図、その時の表情。非言語の要素も組み合わせて感情が伝わる、それがコミュニケーションなのだという。
<橋本さん>
「通訳者としての私は、言葉はアクションのトリガーであると思っています。フィリップ社長は人間は意図があって言葉を発するとおっしゃいました。そして私は言葉尻を訳すのではなくて“意図を訳す”ということをしています。カフェでおしゃべりしているときの言葉には深い意図がないこともしばしばありますが、フィリップ社長が話すのはビジネスの重要な場面です。ですから、彼の言葉は問題解決のため、疑念の払拭のため、行動を起こさせるため、新車の発表を祝福するため、さまざまな意図があり、すべてにおいてなにかのアクションを期待しているのです」
言葉を伝えて終わりではなく、結果にきちんとコミットすること。それを通訳者として自らに課している、と橋本さん。微笑みを浮かべながらフィリップ社長の目をまっすぐ見つめ、“I will get the results for you.”と言うと、フィリップ社長は笑顔になり、満足げにうんうんと頷く。
人間関係を深めたいときにはオフラインの方がよい
ところで今回のクロストークでは、橋本さんはフィリップ社長の言葉を逐次日本語に通訳しながら、筆者たちに向かって日本語で話し、自身の言葉もフィリップ社長に英語で伝える、という複雑なことを行っている。しかも、会話の合間にフィリップ社長と英語で冗談を言い合い、大きく口を広げて笑う余裕を見せながら。
橋本さんに、フィリップ社長が特に注意深く言葉を発していると気づく端的なフレーズはなにかと尋ねた。組織のリーダーとして時にネガティブなことも従業員に伝えなければいけないとき、フィリップ社長はどのようにコミュニケーションを図るのかを知るためだ。
<橋本さん>
「ここは正直に言うけれど、とよくおっしゃいますね。ですからフィリップ社長が“I have to be honest here.”と言ったときには、綺麗な言葉でごまかせられないなにかを本音で伝えようとしているとき。きちんと誤解なくその意図が伝わるように、特に慎重に言葉を選びます」
日本法人の代表として、ドイツ本国とのミーティングは主にオンラインで行う。コミュニケーションの質が異なるオンラインとオフラインでは、フィリップ社長は言葉の使い分けなどどのようなことを意識しているのだろうか。
<フィリップ社長>
「オンラインは反応が読み取りにくく、空気が読みにくいですよね。ドイツや各国の代表者による会議や、日本の70人の従業員を相手にしたミーティングなど、いずれにしても目の前に相手がいれば反応はすぐにわかる。もし集中を欠いていて反応が鈍ければ、言葉のトーンを変えたり、ジョークを言うなど、即時の判断ができる。しかしオンラインだと反応が掴めないので、決めたとおりに喋ることしかできない。オンラインミーティングは便利ですし、いい点はたくさんありますが、メッセージをしっかり伝えたいときや人間関係を深めたいときにはオフラインがいいですね」
通訳者はそれでも伝えなければならない
そのフィリップ社長の言葉に対しての橋本さんの意見がまさにプロフェッショナルだった。
<橋本さん>
「フィリップ社長が、オンラインだから伝わらないなと感じるのはいいんです。でも私はオンラインだから通訳が伝わりませんでした、ではいけない。もちろん画面の向こうで寝られてしまったらどうしようもないですけど(笑)。オンラインでは特に話し方にメリハリを出し、画面に顔を出している人を見つけて注意深く観察しながら瞬時に間を変えたり、声の抑揚をつけたり、フィリップ社長が一度しか言わなかったことも、自分の判断で二回繰り返して言うなど、工夫しています」
「もはや言葉通り訳すことなんて期待されていないので」と笑う橋本さん。そんな橋本さんを面白そうに眺めるフィリップ社長。ビジネスパートナーを超えた、戦友とでも例えられるほどの深い信頼関係を感じさせるシーンだった。
Et kütt wie et kütt(なるようになる)
トークの最後にフィリップ社長に「好きな言葉」を尋ねると、挙げたのは“Et kütt wie et kütt(エット・クット・ヴィ・エット・クット)”という耳慣れないフレーズ。ドイツのケルンの方言であるこの言葉の意味は、「なるようになる」。橋本さんが初対面で感じたフィリップ社長の器の大きさは、人生に対するおおらかさから生まれているのかもしれない。
フィリップ・フォン・ヴィッツェンドルフ
ポルシェジャパン代表取締役社長。メルセデス・ベンツのカナダ、ドイツおよび海外市場での管理職などを経て、2019年4月からドイツのポルシェ直営リテールハンブルク取締役会長。2022年7月1日より現職。
橋本美穂
フリーランスの会議通訳者。アメリカ合衆国ヒューストンで生まれ、幼少期を東京で過ごしたのち、6歳からサンフランシスコで暮らす。中学から再び日本に住み、慶應義塾大学卒業後キヤノンに総合職として入社。実務の傍ら通訳者養成学校の夜間コースで学び通訳者に転職。医療やIT、金融などビジネスの最前線で活躍。ピコ太郎、ふなっしーの通訳者としても知られる。近著『英語にないなら作っちゃえ! これで伝わる。直訳できない日本語』(朝日出版社)。
出典:Web Magazine OPENERS