HERMÈS | エルメス
メゾンの遊び心を感じさせるマルケトリーに挑戦
フランス語で象嵌細工(ぞうがんざいく)を意味するマルケトリー。エルメスの代表的職人技術のひとつで、アルソーという腕時計のモデルにもこの伝統技法を用いた新作がある。わずか直径3センチほどの文字盤にレザーで彩られた美しい模様は、どのように生み出されているのだろうか? その極意に触れることができるワークショップに参加する機会を得た。
Text by KAWASE Takuro
象嵌とはひとつの素材に異なる素材を象って嵌める技法で、古来より様々な装飾品や工芸品がこの技法によって生み出されてきた。身近な例として、白蝶貝や黒蝶貝を嵌め込んだジュエリーやギターなどが挙げられ、それらはインレイとも呼ばれている。
翻ってエルメスでは、色とりどりのレザーを組み合わせた象嵌=レザーマルケトリーを施したアイテムがいくつかある。取り分け注目すべきはマルケトリーの粋を集めた腕時計の文字盤で、微細なレザーパーやビーズなどを組み合わせ、複雑かつ繊細な模様を生み出している。
今回はエルメス・オルロジェでレザーマルケトリーを担当する熟練の職人を迎え、ワークショップのために特別にデザインされたチャームを作成する。作業台の上に用意されたのは、ピンセットや木ベラといった工具と接着剤、12片のレザーパーツと直径4.5センチほどのチャーム本体。手順をナンバリングした指示書に沿って作業を進めていく。
初心者でも時間内に仕上げられるよう、片面にはすでにマルケトリーが施されており、ブルー系とピンク系の2パターンが用意された。ワークショップ用にパーツは大きく設定されているものの、長さ1センチ・幅5ミリにも満たないものばかり。実際に職人が扱うパーツはさらに小さく、厚さはその半分以下だというから驚きだ。ちなみにマルケトリーで使用する接着剤は、職人の身体や環境に配慮した成分へと改良を重ねている。
講師を務めていただいたのは、腕時計のマルケトリーを担当する職人のイザベル・リヴィエールさん。ワークショップ開始早々、「マルケトリーは最初の嵌め込みが肝心で、仕上がりの全てを左右します。少しでもズレると、そこから全体が歪んでしまうから」との注意がなされた。
針のように尖ったピンセットの先端をパーツの片側に滑り込ませ、しっかりと掴み上げる。いかんせんパーツが小さいので余計に力んでしまうし、目も疲れる。表裏を確認してから接着剤を塗り、指定の場所に嵌め込む。木ベラを使ってパーツを押し込んで表面を均一にし、はみ出した接着剤に布を押し当ててきれいに拭き取る。確かにこの大きさでも難しい…。
イザベルさん曰く「普段はおしゃべりが大好きな職人たちも、マルケトリーの作業を始めると寡黙になります。集中力が必要な作業を繰り返すので、長時間ずっと続けることはできません。疲れてきたらマルケトリーを一旦中断して、ベルトやバッグなどの制作に移ることも多々あります」。
パーツを掴むだけですら一苦労なのに、米粒にも満たない面積に接着剤を塗布し、隙間なく敷き詰めなければならない。腕時計のマルケトリーを手がける職人たちは、このパーツよりさらに小さいパーツに向き合い、何百倍もの作業を繰り返すというのだから恐れ入る。
最後のパーツを嵌め込んだら、イザベルさんによる最終チェックが入る。わずかな隙間も見逃すことなく、嵌め込みが不十分なパーツを嵌め直していく。大きさも形も異なるパーツが織りなす有機的なフォルムが描かれ、調和の取れたカラーリングが目を楽しませる。
チャーム両端に開いた穴に、タッセル(房飾り)を通し入れて完成。一見すると意味を成さない流線型のように思えたマルケトリーだが、左右のタッセルを持ち、チャームを数回捻って回転させると、そこにはウサギの顔が浮かび上がるデザインになっていたのだ。
上記の画像は、指示書の絵柄を反転させ、左右を組み合わせたもの。モチーフにウサギが選ばれたのは今年の干支であるからだそう。あえて回転させるギミック(仕掛け)を施したのは、エルメスが掲げている2023年の年間テーマである“驚きの発見”を反映させているから。こんな心憎いばかりの演出も同メゾンならでは。
8年前から腕時計のマルケトリーを手がけるようになったというイザベルさん。「エルメスに入社して、もう35年が経ちました。靴職人としてキャリアをスタートしてからずっと、アトリエの職人たちと互いのメティエダール(芸術的な職人技)を教え合い、高め合ってきました。マルケトリーの技法もまた私から後続の職人へ受け継がれ、さらに進化していくでしょう」
ワークショップ用でも、ピンセットのつまみ方、力の掛け方、接着剤の付け方で、その仕上がりは全く異なってくる。長年の鍛錬を積んだ職人だからこそ成せる技があることを実感することができた。私たちがエルメスに絶大なる信頼を寄せるのは、こうしたメティエダールへの敬意であり、継承し積み重ねてきた職人たちのストーリーがあるからだ。
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出典:Web Magazine OPENERS